津城(三重県)

2010.06.06 津城

用事で鈴鹿サーキットの近くまで来て、自由時間が2時間半出来た。

次男坊に何処へ行きたいか聞けば 『砂浜 と 津城』

『なにそれ? ふつう今横切った鈴鹿サーキットだろう!』 と思った。

昨日の内にヤフー地図で勝手に調べていたようですwwww

ナビ設定したら そんなに遠くなかったです。

ただの公園なので、記念メダル販売機の設置場所がなさそうwwww


津城跡|観光スポット|観光三重(かんこうみえ)

織田信包(信長の弟)が天正8年(1580)に津城を創築。 以後、 津は城下町として発展してきました。本丸を中心に出丸を置き、幾筋かの河流を城の外堀に取り入れたもので、 低湿地ながら防御には堅固な城でした。 その後、藤堂高虎が四国伊予の今治(愛媛県)から移封、 慶長16年(1611)に大規模な改修を行い、北側の石塁を高く積み直し、その東北と西北の両すみに三重の櫓をつくりました。 また、城の周囲に武家屋敷をつくる一方で、伊予から連れてきた町人たちを岩田川の南に住まわせて、 伊予町をつくりました。 さらに高虎は、参宮街道を城下に引き入れたり、城の東に堀川を切り開いたりして津の基礎づくりを行いました。 2代藩主高次はそれをもとに城下を整備、明治維新まで津は32万石の城下町として栄えてきました。 明治になっても町はほとんど旧城下町のままでしたが、明治の終わり頃になって外堀が埋められ、 新しい道や町が作られるようになってきました。 現在では、本丸・西の丸・内堀の一部を残すのみとなりましたが、 復興された角櫓の三層の白壁に老松がはえ、苔むす石垣とともに昔を偲ぶことができます。 ※藤堂高虎像もあります。

観光三重

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